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11月 2016
  • ●2016.11.02
    題名:忍耐と我慢

    「忍耐」と「我慢」はどのような差があるのだろう。そんな疑問が心の中に出現したのです。

    辞書で調べると、「忍耐とは、苦しさ、辛さ、悲しさなどを耐え忍ぶこと」。「我慢とは、耐え忍ぶこと。こらえること。辛抱」と記述されていた。・・・なんだ、同じじゃないか・・・と思いました。しかし、更に調査を進めると、我慢や忍耐を表すギリシア語に、「ヒュポモネー」 という言葉があることを見つけました。 この言葉は、耐えてやり過ごす…という意味よりも、もっと希望のある言葉でした。「 心に強い希望を持ち、苦難に立ち向かい、望みを叶える」という意味合いを持つ言葉でした。
    希望へのプロセスのひとつに忍耐がある…「ヒュポモネー」と はそんな強い希望の言葉です。

    ~希望はだまって耐えていればわいてくるようなものではなく、苦難にあっても自ら希望を強く持ち、苦難に立ち向かう者にこそ、勝利は与えられる~と理解しました。

    聖書の中にも、「忍耐」という言葉を見つけましたので紹介します。「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達が希望を生む」(ローマの信徒への手紙5:3-4)と、ありました。

    我慢は、自分が選択したか、しないかで大きく意味が変わってくると思います。
    主体的に我慢することを選択するなら、「ヒュポモネー」ですが、「させられている我慢」 で、知らず知らずに責任転嫁をしてしまっている私を見つけることは少なくありません。

    「忍耐」とは、希望を叶えるために耐え忍ぶことで、「我慢」とは、自らの良心に反し、耐え忍ぶこと。と、腑に落としました。 いつもの癖で我慢しそうになった時は、誰のために?何のために? と自問し、 主体的に行動し、人生の祝福を受け取りたいと思います。

    カテゴリー:日々雑感